irogattoのブログ

過去、現在(イマ)

親父さん

実父のことを他人に話す時は時々こう呼んでる。

これは兄との会話で兄が父のことを「親父さん」と呼んでいたことから、私もその呼び方の方が言いやすいなと思って使っている。

 

短い時間だったが、昨日の夜から今朝まで私のとこへ親父さんが泊まりに来た。横浜に用事があるついでに東京へも来たのだ。

お酒を飲みながら実家近くの様子など話してくれた。その後も今の仕事の話や以前勤めていた職場の話など、夜中の2時頃まで喋った。私も訊ねたい事がいくつかあったので質問できて話が聞けて良かったと思う。

私自身のことに関してはほとんど何も訊ねてこなかったので、気を遣っていたのだろう。今も実家の方はごたごたしているようだし、話したい事は他にもあっただろうけど、きっと姉に余計なことは口にするなと釘を刺されているはずだ。

いつか何にも気を遣うことなく話せる関係になるのだろうか、家族全員。難しそうだな…。

 

こちらへ来たついでに父の日の小さなプレゼントとカードを渡しておいた。忙しそうだけど、無理するなと書いておいた。

選択肢のうちの一つ

2週間前に初めて法務局へ行ってから、ほとんど何もしていない。数日前に図書館へ行ってそれ関係の本を読んで借りてきたぐらいだ。

一ヶ月後に司法書士試験がある。全然準備ができていない。そもそも合格率3%の難試験だ。私にとってはあくまでお試し受験の範疇だ。

意外と受験申請は簡単で、東京の試験会場は自分が通っている大学なので、とても都合がよかった。

ちゃんと勉強するとして、もしこのままモチベーションを保っていられたら、司法書士という道も、将来どう生きるかの選択肢の一つになる。

どんな結果になろうと、法律に関係する分野を勉強することは私にとって為になることだ

。頑張ろう。

月経不順

前回の始まりから数えて今日が20日目。早い時は15日目の時もあるけど、平均20日周期で考えてよさそうかな。

ここ数年の傾向としては春、夏の時期に大体月2でやってくる。終わった!と安心できるのも一週間ぐらいだ。ホルモンバランスの崩れが原因だろうけど、ストレスを感じてる時は不正出血のようなものもある。1日で終わったりするから。生理とはまた別な気がする。

今お世話になっているお医者さんに月経不順だと以前話したら、よくあることだから気にする必要はないと言われ、特に心配はしてない。でも、周期が一定ではなく、いつ来るか分からないから何かと面倒である。月一のものではなくなっているから常に気にかけている状態だ。

今年に入ってからは、生理前に地震!?と思うような体が上下する感覚がある。急降下で落とされていきなり止まるみたいな感覚。その時意識が遠のきそうになる。歩いてても止まってても突然くるから、そのうち人に迷惑かけないといいんだが。分かりやすい兆候ではあるけど、それから数日後にあると思うと憂鬱である。

ちなみに受診用日記に書くことは全く別のこと。

祖母の誕生日

今日は祖母(義母)の誕生日だった。

一応電話した。ほんの一言二言。

喋ったのは姉の結婚式以来だ。

今年で88歳。米寿とはめでたいし長生きしたものだ。

基本的にうちの家系は父方も母方も長寿体質かもしれない。

 

不謹慎な話、死ぬ前に跡取り問題の決着つけておかないとな。

まだ真面目に話する気にはなれないんだが、何事も早め早めが良いだろう。

後悔しないように。後々困らないように。

 

とにかくおめでとうと伝えることは忘れなくできた。

 

今日から6月

一言。 早い!!!

今年も折り返し地点にさしかかる。まだ何も、ゼロでもないが、何もできてない!充実感が薄い。だから今からがんばろう!がんばろがんばろっ!!

 

鍵つけてやる気なくてって感じだったけど、もう何も気にせず書いていこっと。

 

もしこれ読んでる人いたら、ありがとです。またよろしくです。

文章構成力

皆無である。

文章を書くのは苦手だ。

小さい時からそうだ。感想文など小学生の時は、自分で読んでも何が言いたいのか分からない文章をだらだらと書いてみて、先生なら読み解いてくれるだろうとか、大人は賢いからどんな文章でも理解できるだろうと期待していた。書き言葉だけでなく、話し言葉に対しても時々壁は感じていた。他人との意思疎通はあまりうまくいってなかったと思う。今考えれば、軽度な発達障害の類いだろう。いじめられたり、仲間はずれにされたのも無理はないか、小学生ならな。言葉への苦手意識を最も強く感じていたのが小4の頃で、まさにその時いじめに遭っていたから、きっと関係はあると思う。

 

自分が書いた文を他人に読まれるのは本当に抵抗を感じる。だから普段からありきたりな馬鹿のひとつ覚えみたいなことしか書けなくなる。中身が薄っぺらくなる。

ネット上で話し言葉のように綴る分には、思ったこと感じたことを言えているし、自分自身の言葉で表せているが、やはり自信はない。堂々と読んでほしいとは言えない。この文章おかしくないか、変な日本語になってないか、読みにくくないか、言いたいことがそのまま読み手に伝わる表現になっているかとか、気にしている。だからすごく時間がかかる。結局何が言いたいんだ、という形になっていないかと心配である。タイトルを付けるのも難しい。そして書き方を丁寧にしただけで、中身は薄っぺらいものに変わりはないのではないかという恥ずかしさもある。

 

改めて、文章を書くのはとっても苦手だ。

泣くとき

どうやら、疲れても泣くらしい。

一種のストレスなのか。別に何も辛いことなどない。

 

考えれば、中学、高校時代毎晩のように泣きながら寝てたのは、気を揉む事が多くて容量の小さい私にはいっぱいいっぱいで毎日疲れていたからか。睡眠時間は充分にとっていたはずなのに、常に怠さを感じてて何もかも投げ出したいという思いが頭の中をぐるぐるしていた。

感じ取らなくてもよいあらゆるプレッシャーに徐々に潰されていたのか。

人前に出ていけばいくほど、自信がなくなっていく。最初はどんなに不安を抱えていてもそのうち慣れると言い聞かせられる。けれど、時間が経つほど回を重ねるほど、不安は大きくなっていく。早く人から離れたいと思ってしまう。とにかく独りきりの時間を求めた。仲のよい子や先生と喋って笑えるのはもちろん楽しい。けど、やっぱり1人だけで過ごす時間の方が大事だった。学校の図書室も好きだったけど、部活をサボって立ち寄る市立の図書館の方がもっと落ち着いた。知り合いがいない空間で本に囲まれるのはかなりホッとした。

若いのに全然エネルギーの足りない子どもだったような気がする。今はもっと足りない。

 

実際、泣くとスッキリする。もやもやが残る日もあるが、大抵は泣き疲れて安眠だ。

泣きたい気分ではあるのに泣けない日が一番つらかったかもしれない。

 

最近(と言ってもこの5年くらい)は寝る前に泣くことはかなり減ったが、突発的に泣くことは増えた気がする。流す涙の量も時間も相対的に少ないが、抑えきれないので困る。あとで泣けばいいから今は我慢しろ、は通用しなくなった。人前の場合はとりあえずその場から退散する。逃げられない場合は顔を背けるしかない。 

 

辛い感覚がなくても泣くときは脳が疲れているとき。身体はどれだけ疲れても関係ないと思う。

 

あとは自分が情けないとき。悔しいとき。イくとき。

それから単なる生理現象として。朝起きて用を足すときも両目から大粒が2、3滴落ちるから、元々涙腺は緩いと思う。

 

とにかく極端に気分が沈んだり、感情が高ぶったときに、泣く。

かなり泣き虫。